Category Archives: Essay

BIG SHADOW PROJECT

最近の広告はややこしい。
やれインテグレーテッドだ、クロスメディアだ、クロスコミュニケーションだとメディアの扱い方がスゴイ複雑になってきた。

で、ちょっとインテグレーテッドキャンペーンを一例挙げて、キャンペーンのワークフローを追ってみる。それによってインテグレーテッドキャンペーンを成功に導く能力とは何なのかを探ってみようと思う。

取り上げるのは「BIG SHADOW PROJECT」。

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物事の本質的理解の先は

僕は妙に分析癖があるので、普段気になった事に対して「何で?」と疑問を持ち、ある程度自分が納得できるまでその「何で?」を繰り返す事がよくある。
この「何で?」の繰り返しってのはその物事の分析的掘り下げになるので、繰り返してるとその物事の本質に行き当たることがある。

その分析癖を積み重ねてきて最近ふと気付いた事がある。
物事の本質的理解の先に何があるのか、ということ。
ここでいう本質とは物事の表面的な事象ではなく、その物事の本当の原因やその物事を支配しているルールのこと。

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水口哲也特別講義を聞いて

先日うちの学校で水口哲也さんの特別講義を聞いて世界変わりました。

「人が感動するのには必ず理由がある。」

これに尽きる。
要するに小さくも大きくも、人が感動するという事には何らかの因果関係があるという事。さらにその因果関係を掘り下げていくと、共通するシンプルなルールが見つかる。そのルールをたくさん見つければ人の心を動かせるという話。

で、それを聞いて僕が思いついたルールは4つ。

まず束縛から解放されると気持ち良くなるっての。
例えばクラブ系の音楽でドラム音がドッドッドッドッドドドドドドドドドドドドドドドドドゥーーンってなるのを聞いてると気持ちが高揚する。これは単純な音のループが束縛を感じさせ、そこから急に解放されてるので束縛→解放パターンと言える。
他にも暗くて狭いトンネルを走ってて、急に明るくて広いところに出たら気持ち良くなる。これも空間と明るさの束縛から解放されてると言える。

次に数が膨大に増えていくのも気持ちいい。
ちょっとした増加には快感は伴わないけどものすごい増加は快感を感じる。これはゲームのスコアだったり、爆発の炎だったり、パチンコの玉の出だったりと例を挙げることなく日常的にも感じてるはず。

あと、コール&レスポンス。
自分が何かしらの動作を起こしたときに何かがその動作に連動して変化を起こした時に快感を感じる。そのレスポンスが早いほど効果は大きい。これは単純にボタンや会話なんかが当てはまる。

コール&レスポンスの延長で、シンクロってのも思いついた。
何か別々の物が相互に反応しあってる様子を見てると快感を感じる。例えば、音楽と映像の同期や、ピタゴラスイッチの物と物が連鎖的に作用していく様子なんかもこの類。

こういう細かいルールを組み合わせていくと人を感動させるものができていくんじゃなかろうか?

佐藤可士和

予備校通い始めてすぐ、佐藤可士和のシンプルなグラフィックのビジュアルに憧れた。
んでちょっとグラフィックを見だしてあんまり興味なくなる。こんなのよくあるよくあるみたいな感じ。

で、大学入って広告勉強しだしたら、あのビジュアルで広告を作ってることのすごさを痛感する。
どんなプレゼンであのビジュアル通してんのよ。

要するに佐藤可士和には二度憧れる。

SMAP

マジでこんなんどんなプレゼンすりゃ通るんよ。
そりゃ当然コンセプトとかプロセス、バックボーンありゃこそだけど。

N703iD

いっぺんガチのプレゼン聞いてみたい。

表現技術のキーンとする訓練

中学の頃に体育でひざ付いて腕立てしてたら先生に、「腕立ては腕がキーンってなってからが勝負。そっから筋肉は成長するんだ。」って言われた。

今考えるとこれは人間の成長の本質を表す言葉だなぁと思う。

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iPodのスクロールホイールにいちゃもん

iPod Classicを使ってるんだけど、
このiPodのインターフェイスについてちょっといちゃもんつけたい。

膨大な量のリストのスクロールに関してはスクロールホイールが神がかり的に便利なんだけど、一曲単位でスクロールしたい時はそーっとスクラッチしても行きすぎたりしてスゲェ不便。
これスクロールホイールの上下をボタン的に押せば一曲単位でスクロールするようにできませんかね?

 ざっくり数百ぐらい単位走査はホイールを回す。
   ↓
 ある程度目的の場所に近づいてきたら上下ボタンでスクロール。

これの方が操作するボタンも変わらなくってスムーズじゃない?
あ、もしかして代替の操作方法があったりして。

細部の善し悪しの判断基準

製作というものは工程が細部へ細部へと進んでいくにつれ作業が細かくなっていく。

この細部での作業ってのは細かな変更を繰り返すわけだから、微妙に部分の違うだけのバリエーションがたくさんできる。
で、その中からよりいいものを取捨選択していくという事を繰り返す。

ところが工程が細部へ移っていくと作業の単位が細かい分思考の単位も小さくなってしまう。それが故に「こっちの方が俺好き」とか、「こっちの方はなんか生理的に嫌」とかいう根拠0の理由(多くは単なる自分の好み)をバリエーションの善し悪しの判断をする基準にしてしまっている事がある。本来はその作品のコンセプトが基準であるべきなのにもかかわらず。

当然常にコンセプトを意識しつつ作業をつめていくことは当たり前だけど、細部をいじりつつ全体にあたるコンセプトを意識するのはなかなか難しい。
ミクロの単位からマクロの単位へ脳の焦点の切り替えがそんなにスムーズに繰り返せないんだと思う。

やっぱりこれを未然に防ぐためには明確なコンセプトや、善し悪しの基準を設定することが一番の解決策になると思う。

休み中に進めてきたそれぞれの製作物の工程が細部に入ってきたので、
ここで一度この事をインプットし直す。

ブルーオーシャン戦略

以前から歴史に名を残す人間と、歴史に名を残さないが功績は残した人間との違いは何だろうかと考えていた。
結論から言うと両者の違いは自分の環境を構築したか、他人の土壌で戦っていたかって違いに帰結する。

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YouTubeの高画質配信が始まっている件

とりあえずこれ見よ。

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作品における技術の期限

Creative License. Take as much as you want.高度な技術を使った作品はある一定のラインを超えると、その技術に対しての感動が薄れる。

例えば、高度なCG使った映画もCGに慣れてしまうとあとはストーリーとか作品そのものの出来で評価してしまうとか、リアルな映像を前面に押し出したゲームでも数分やってると映像美への感動が薄れてしまって、あとはゲームそのものを楽しんでいるというような状況。

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