表現技術のキーンとする訓練

中学の頃に体育でひざ付いて腕立てしてたら先生に、「腕立ては腕がキーンってなってからが勝負。そっから筋肉は成長するんだ。」って言われた。

今考えるとこれは人間の成長の本質を表す言葉だなぁと思う。

楽にできることをどれだけ繰り返しても人間成長しないもんな。
辛かったり、能力の限界に近いところで頑張った時、もしくはそれを突破した時に大きく成長する。

この例を借りて考えてみると色々納得できることがある。
例えば、腕立てが何百回軽くできてしまう人がいた場合、腕がキーンとしてくるまでにそれだけ回数を重ねないといけない。これはキーンにたどりつくまでの時間が長くなるから仕方ない。こうなると、そこから更に筋力をつけるためにはこれまで以上に長いトレーニングの時間が必要になる。
これはある一つの技術に習熟してくると成長速度が落ちることと一致する。グラフにした時に学習曲線が「ノ」の上下反対の図になるのはこの為。

この事を表現技術の訓練に当てはめて考えてみるとどういう訓練が必要なのかが見えてくる。表現技術のキーンは細部を詰める作業の際に発生する。

物作ってると感じるんだけど、製作の過程でディテールを弄る行程に入ると途端に辛くなる。
精神的ではなく能力的に辛くなる。
一向によくならない、完成に見えない、なんか変だけど何が変なのか分からない等。ここら辺が自分の能力の限界地点でいわゆるキーンにあたる。恐らくここで色々試行錯誤すればするほど成長する。

要するに表現技術を上げたければ細部に時間をかけた方がいいって事。
もっと具体的に言うと習作作るならざっくりした物をいっぱい作るんじゃなくて、一個一個細部を突き詰める作業に時間をかけないと意味ないって事。
極端な話、全体感投げ出して細部だけやってりゃいいと思う。

一応フォローしとくとこの例は表現の技術を上げるっていう縦の能力を伸ばす場合の話。表現の幅を広げるっていう横の能力は90度軸を変えて考える。つまり自分の限界まで広い範囲のことを試すって事になる。

中村勇吾さん言ってた「習作いっぱい作って当たり前化する」ってこういうことだろうな。