作品における技術の期限

Creative License. Take as much as you want.高度な技術を使った作品はある一定のラインを超えると、その技術に対しての感動が薄れる。

例えば、高度なCG使った映画もCGに慣れてしまうとあとはストーリーとか作品そのものの出来で評価してしまうとか、リアルな映像を前面に押し出したゲームでも数分やってると映像美への感動が薄れてしまって、あとはゲームそのものを楽しんでいるというような状況。

この「ある一定のライン」ってのは微妙なもので、鑑賞時間だったりその技術の使い方だったり作品やその技術によってバラバラな気がする。

Creative License. Take as much as you want.の場合は、中盤キングが出てきてラッパ吹くあたりからズームアウトしたことで、トランプが小さくなってトランプでできてるって部分への感動が薄れた気がした。
YouTube – Animusic – 05 – Pipe Dreamの場合は一つ目のシーンが切り替わるまでがピーク。ボールの量が増えて本当にそれが音を奏でてるのかどうか判定しづらくなった時点で冷めてしまった。
別にこれらの作品全体が駄目とかそういう話じゃなくて、技術的な部分にフォーカスを当てた場合その感動が持続しないってこと。

で、これ考えてて思ったのが表現って作品の中では「場」としての役割を持ってるんじゃないか。要するに表現ってのは前面に押し出すものじゃなくて、作品の中ではある程度透明化していることがふさわしいんじゃないか。本来押し出すべきものは他にあるはずだから。