アウトプットについて考えた #2

頭の中で考えついたことをだらだらと綴った前回からの続き。

アウトプットに対して億劫になる一つの例として、「いいものを作りたいが、そのいいものが思いつかないので手が止まっている。」という状況がある。
おそらくこの場合、自分の中で精一杯の「いいもの」を、一回で出そうとしている。このような、目標がハッキリしない状態でスタートがきれないのは人間の心理として当然のことだと思う。

前回も「良質なもの」というのは一回のアウトプットから生まれるものではなくアウトプットを何度も繰り返す過程で生まれてくるものだ(=アウトプットの量は質と比例する)と書いた。
ということは、この場合は気持ちの中でのアウトプットの目標を質から量に切り替えればいい。「いいものを作るぞ」から「たくさん作るぞ」へ。こうすると量を設定するだけで、目標がハッキリしてきて気軽にスタートできるようになる。
当然「いいものを作るぞ」の場合に量にこだわりがなかったように、「たくさん作るぞ」の場合も質にこだわる必要はない。むしろ質へのこだわりがアウトプットを鈍らせているので質を気にしてはいけない。しかしこの行為の果てに当初の目的である、「いいものを作る」が達成できる。

先人たちが取り敢えず手を動かせっていうのはこういうしかけがあるんだな。

 

最近身内に見てるよ的なことを言われるので、こういう退屈エントリ連発で撃退してやろうかと思ってる次第。